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2011年 夏の旅(5)サンフランシスコ [仲良くごはん]

8/12(金)、今日はサンフランシスコからCaltrainという鉄道に乗って1時間のSan Joseという街にある日系人博物館へ思い切って行くことにした。そうと決めた私たちに、初日と2日目にお世話になったSさんが、80代の日系1世のボランティアガイドの方をご紹介くださった。Sさんがこちらでボランティアをされてきたからこそである。本当にありがたいこと!

朝、相変わらずドタバタだったが海の方へ散歩した。朝は曇っていて浜辺はグレー色。海までの通りにオーガニック系のスーパーや中華料理店を発見。こんな近くにお店あったんだったら、食材やビールはここで買えばよかったね〜、と後悔する。これから利用しよう。

海の近くからバスに乗った。直子さんとお互いの夢について話す。「やっぱりやりたいことはやらないといけないよね!やろうやろう!」と盛り上がるバスの中。

バスの乗り継ぎ地点で降りたら、タイミング良くCaltrainの駅までの直行乗り合いバスがやってきた!乗せてもらう。駅までの通りを眺めていると、若者のホームレスたち(スーパーのカートのようなのを押している)やシンナーを吸ってる人もいた。

駅で無事チケットをSan Jose行きの購入し、電車出発までまだ時間があるため、やっぱり食べ物を物色してしまう。サブウェイでスープを買おうとしたが、1つ目のスープの種類がよく聞き取れなくて「何のスープ?」と繰り返し聞いたら、「この子、チャイニーズだから相手したげて〜」と店員さんしびれをきらし、別のアジア系の女の子が出てきた。ジャパニーズなんですけど、、、と思いながらスープを見せてもらって、結局2つ目のチキンスープにした。さらに、隣のサンドイッチ屋でベーグルサンドとカフェラテをまた買ってしまった。朝ごはん、食べてきたのに!いずれも味はまあまあ。バークレーみたいにとびきりおいしい訳ではない。

電車に乗り込み、2階の2人掛け椅子に。向こうの席に同世代女子と小さなワンコがいる。直子さんと夢の話の続き。窓からの眺めも見ていて飽きない。途中海のような湖のようなところが見える。きれい。1時間とちょっとで、San Jose着。こんな電車。
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San Joseの博物館は、サンディエゴ在住の友人Kさんが教えてくれた。行き方も丁寧に教えてくださったため、安心。San Jose駅からトラムに乗り換え。今日からJazz Festival があるようだ。いいなぁ。街の雰囲気は小綺麗な感じ。ホームレスは見当たらない。

Japan Town駅で降りる。どっち方面かわからなかったので、直子さん、バス停に居たかわいい女の子に声をかけて聞いてみる。親切に教えてくれて、その方向に歩いていく。
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少し歩くと、無事にJapan Townに到着(タペストリーがかかっていた)。豆腐屋さんや韓国料理のお店のある通りを少し歩いて行ったけれど、博物館がどこにあるかわからなかったので、ビデオショップに入ってお兄ちゃんに聞いてみた。教えてくれて、無事到着。入館料を払い、サインをし、テリーさんを待つ。荷物とかを置かしてくださる。皆さん、親切!

テリーさんいらっしゃって、ご挨拶し、案内していただく。テリーさんは1939年、3歳のときに京都から大洋丸に乗ってアメリカにやってきたそうだ。
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写真やカバンや着物から海を渡ってきた人たちのアメリカでの暮らし、そこでどんなことを感じ、どんな辛いことや、どんな嬉しいことがあっただろう?と、時を越えて彼/彼女たちに近づいてみたい、と思いながら展示を見る。
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日系人の強制収容は1942年2月に始まる。展示を見ていると“evacuation”という言葉。この単語は「避難」という意味。何も知らされずに、「保護」「避難」という名目で行われた。持てるだけの荷物しか持ってはいけないと言われ、集められ、列車で運ばれていった人びと。どこに連れていかれるのかもわからず、厚着のコートを着ている人たち。不安そうな表情が見てとれる。ふと、今日本で起きている福島原発事故により避難させられた人びとの姿と重なる・・・。
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1つの収容所に1万人近い人たちが暮らす。周囲は有刺鉄線に囲まれ、バラックが整然と建ち並ぶ。多くが人が暮らすには適さない場所。緑もない、昼夜の気温の差が激しい砂漠のようなところ。
6人家族用の収容所の1室の展示もあった。祖末な、プライバシーもない部屋。どんな暮らしだったろうか、と思う。でも、写真の中の子どもたちは笑顔のかわいい、どこにでもいる子どもたち。
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展示室の真ん中に腰掛けて、テリーさんからいろいろ話しを聞かせてもらう。日系人として、排斥されながら、一方でアメリカ国家に忠誠をあらわすために米軍兵士となった若者もいた。第442連隊。ヨーロッパの激戦地に送られたという。

なんと言い表したらいいのかわからないが、こうやって生きてきた人たちの歴史をかいま見て、そして、実際にその歴史の中を生き抜いて来られた人たちに実際にお会いして思うことは、ただただこの歴史と人びとを素通りしないで済んでよかった、ということ。
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そんな思いでいっぱいになるが、お腹の方はすいてくる。
なんとテリーさんも昼食をご一緒してくださることに!直子さんの交渉、さすが!「何が食べたい?」と聞かれて、「(まだ食べていなかった)カリフォルニアロールが食べたいんです」と答えると、「じゃあスーパーで買ってきて事務所で食べたらいいね」と提案してくださった。スーパーまでの途中、かつて日系のお医者さんのお宅で今は保存されている建物を覗かせてもらった。中に入ると太鼓の音が。太鼓サークルの活動中のようだ。リーダーの若い女性にご挨拶できた。木陰には収容所の名前が彫られている石のベンチもあった。
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スーパーに入るとスイカと焼き芋が並んでた。
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事務所に戻ると、他にもボランティアガイドのおじいちゃん3人がいらっしゃった。二世の方かな。皆さん、70歳後半から80代前半のようである。ジーパンにTシャツの方、「家でサンドイッチを作って来たんだよ」と話しかけてこられた方、アロハシャツの方。総じて皆さん若々しい!カリフォルニアロールとうなぎ巻おいしい。一口で食べたらテリーさんに驚かれ、笑われた。たわいもない話をして皆で笑う。齢を重ねた人たちとのこういった時間がとても好きだ。今回の旅の目的を熱心に話す直子さんの話を、皆さんもまた熱心に聞いておられる。その様子を見て私もうれしい。
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そのあと、また展示をゆっくり見たり、資料室で写真集を見たり。折り紙教室が隣で行われていた。博物館がこうして地域の人たちが集う場になっているようだ。駅まではテリーさんが駅まで送ってくださることに!本当にありがたいったらありゃしない。記念撮影をし、名残惜しい気持ちいっぱいで車に乗り込む。日差しが強いが、沿道の木々の緑がキラキラしている。あっという間に駅に到着。テリーさん、ホームまで見送りに来てくださった。テリーさんたちが暮らす街、San Jose。ぜひ多くの日本の人たちに足を運んでほしい街。
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電車の中で購入した本をぱらぱらめくったが、即眠りこけ、起きたらサンフランシスコ到着目前だった。
今日は早めに家に帰ろう、とどこにも寄らずバスを乗り継ぎ帰る。晩ごはんは朝チェックした、中華料理にしよう、ということに。途中、スーパーに立ち寄り、ヨーグルトやバナナを買う。いくつかおやつと到底食べきれない量のピーナッツバターも買ってしまった。
中華料理店、夕ごはんどき、家族連れでにぎわっている。良い予感♪ 少し待ったけどすぐに中に入れた。私はスープ付きのお得なセットにし、直子さんは海鮮麺。いずれも美味しかった!ちんげん菜が特に!接客のおばちゃんは淡々としている。店を手伝っている男の子(11歳くらいかな)がかわいい。
大きなお皿を運んでいる。食べ残した分は持ち帰らせてもらう。
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満腹になり、帰る。ニャンコと目が合った。
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ビールとおつまみで、今日の一日の出会いに乾杯した。そしてまた高田渡を聴く。
今日の収穫物。好きなものばっかり。気になったけど、やっぱり戻したレモンケーキ(右下)を、直子さんが買っていた。二人で旅するのは楽しい。
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Japanese American Museum of San Jose
サンフランシスコ市内から、CaltrainでSan Jose Diridon駅まで行って、そこからVTA Light Railでミュージアム最寄り駅のJapantown/Ayer stationへ。降りたら、電車の進行方向にあるJackson St.を右に曲がり、4ブロック目の5th St.を右に曲がるとすぐ。

*Wikipediaに結構詳しく載っていました。勉強になります。→ 日系人の強制収容

2011年 夏の旅(4)サンフランシスコ [仲良くごはん]

8/11(木)今日はあかねさんとお会いする。
Mission St. と 10th St. のCafe Cumaicaでお昼前に待ち合わせ。少し早くに到着したので、カフェラテを注文しに行ったら、レジの横のバナナケーキが目に入り、思わず注文。サイズがやや大きくて、味もおいしい。アメリカって量が多いからいいな。日本はやっぱり少食なんだろうか。アメリカだと物足りない感がない。地元の人たちなごんでいて、雰囲気の良いカフェ。

あかねさんはベイエリアのNPOであるJPRNの事務局長で、ベイエリアの市民活動にとても詳しい方。部落や在日の問題についてもよくご存知で、日本の団体や個人へのマイノリティの視点を踏まえた視察ツアーを企画されている。後輩たちのサンフランシスコでのスタディツアーのコーディネートを依頼させていただいたこともある。数年前に日本でお会いして以来だったので、今回ぜひお会いしたいとご連絡したところ、お忙しい中、快く引き受けてくださった。以前、日系アメリカ人の中で部落差別があった、と友人から聞いたことがあったので、もしそのことについてお話を聞かせてもらえる方がいらっしゃったらお会いしたいのですが、、、とご相談したところ「残念ながらそういう方は見当たらないが、黒人と日本人の間に生まれた友人を紹介することができます」とありがたいお返事をくださった。

あかねさん、間もなくフレッドさんがいらっしゃった。フレッドさん、とても優しそうな中年の男性。自己紹介をし、フレッドさんにご自身の生い立ちを聞かせていただきたい、とお願いする。“ハーフ”でもなく、“ダブル”でもなく、自分のことを“あいのこ”と呼んでおられた。「あいのこ、あいのこ、って言われていじめられた。そのことを隠さない呼び方の方がいいでしょ?」って。幼い頃暮らした日本では“ヘンな日本人”と言われ、アメリカでは黒人でも日系人でもないというまなざしを受け、大学では日系アメリカ人のクラブへの入会を拒否された、ということだった。

同じく“あいのこ”のサブリナさんもいらっしゃって、 お話を聞く。お二人は部落問題についてもとても関心を持ってくださり、あかねさんに通訳をお願いし、日本での当事者運動の状況や差別の実態、出身者が見えない存在であること、自分や取り組んでいきたいこと、など語れる範囲でお伝えした。印象に残っているのが、「identityの問題だけではなくて、powerをどう獲得するかが重要。戦略を持って運動しないといけない。マイノリティのグループが互いに排除し合うことがよくあるが、異なるもの同士が連帯し、大きな力にしていかないといけない。silenceは絶対ダメ、声を上げないと。大変だし疲れるけど、声を上げ続けないと状況は後退してしまう。」という話。アメリカ社会の差別がどんなふうに現れるのかも聞かせてもらったため、よけいにズシンときた。何か揉め事があり、警察沙汰になったとき、“白人でないこと”が悪いのはこっちだろう、という見方を導くのに十分だなんて。

アメリカで生き抜くのも生易しくない。でも、こうやって、自分とは何者かを問い、権利を勝ち取るためにそれぞれのやり方で闘っている同志もまたたくさん生きる社会なんだと思った。先人たちの運動により、何が変わり、何がまだ変わってないのかを知り、バトンを受け継がなくては、と思う。時計を見ると2時間半くらいがたっていた。

お二人とお別れして、少しお腹が空いてきたので、別のお店に移動してパンとスープを食べる。その後BARTに乗り、あかねさんにオークランドを案内していただくのだ。
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オークランドもまた、中華系、日系などアジア系の人たちがたくさん住んでいる街。まず駅を降りて、少し歩いて、仏教系の寺院なんだけど、churchと名付けらた建物。お盆のときにはお祭りも行われていて、コミュニティの活動拠点になっているそう。
そこから少し歩くと、チャイナタウン。まず、JPRNの事務所が入っているビルには入り、説明を受けた。もう30年も前にバークレーの学生たちが始めたこの地域のアジア系の人たちの、仕事や医療や福祉をサポートするNPOなど20くらいの団体が入っている。継続し、社会的に認められているとのこと。ビルそのものも、市民活動の拠点になるように、この地域の旧い建築物をリフォームされたらしい。
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アジア系の人たち向けの病院もある。言葉の壁があったら病気したとき大変だもんな。
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薬局の奥に、郵便局もあった。中国語やベトナム語の案内。
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図書館はお年寄りが集まる場所になっていて、行政やNPOが情報を伝える場所としても機能しているんだそう。人が集まる場所がちゃんとある、というのがとても大切だと思った。とりわけマイノリティの人たちにとって。
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さらに中心部へ向かう途中、歩道には路上生活をしていると思われる黒人の男性が目につく。目の前に現れたホテルについて教えてもらう。これは貧しい人たちが最初に入居してくるところで、中はこの家賃でこの条件!?という環境の悪いところらしい。入居者には移民や障害者などが多い。キッチンがないからNPOが提供するスープをもらう場合も少なくない。そういう暮らしの中で必死でお金を貯めて、そこを出て行く人もいる。道路の向こう側に立つその建物を眺めつつ、小さな窓の1つひとつの奥にある生活はどのようなものか、と思った。街は発展が進む地区とそうでない地区の差が激しい。
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最後に市庁舎に連れていってもらった。その名のとおり、大きなオーク(樫)の木が生えていて、その奥に広場。この広場がアメリカの民主主義の象徴。市民が声をあげれば、どうであれ市議会が無視することはなく、何らかの回答を出すという。広場はそのときに市民が集う場所になる。今日はたまたま、ライブが始まろうとしていた。黒人のおっちゃんたちが準備をしている。
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ブルースのライブのようだ。広場の周りに徐々に人が集まり始まった。黒人の人たちが多い。演奏が始まると、初老のカップルが前に出てきて、踊り始めた。とってもかっこ良くて釘付け。筋金入りのステップ!アジア系のおばあちゃんも飛び込んできて、若い男の子と踊っていて楽しそう。こういうところで一緒に踊れるくらいになりたいな〜って思った。どんどん盛り上がっている。今回の旅でJazzライブに行きたいな、と思っていたので、ほんとにラッキーだった。タダだし、地元の人と一緒だし。隣であかねさんと直子さんは、震災の被害や原発事故、広島原爆の話について語り合っている。
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名残惜しいが、そろそろ帰ることに。あかねさんのおかげで本当に充実した一日となった。ありがとうございました!

サンフランシスコに戻り、現代美術館のミュージアムショップでお土産をみよう、ということに。時間がなくてショップのみ。オシャレな雑貨やアクセサリーが売っているのでおすすめ。

いつもの71番に乗って帰路。さぁ、今日の晩ごはんはどうするか。いつもバスで通るおいしいもの屋さん通りのIrving St.の中華料理でテイクアウトしよう!ということに。まだ明かりがついているお店を発見し、降りる。時刻はもうすぐ9時になろうとしていた。北京ダックがぶらさがる店へ。
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おかずが並んでいて、いくつか気になるのがあったけど、おばちゃんが厚揚げの炒め物をおすすめしてくるので、じゃあ、それで!と注文したら、バットに残っていた全部をぎゅうぎゅう詰め込んでくれる。あとはインゲン豆と北京ダック。
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おやじの背中が頼もしい。ここの料理はおいしいだろう、と確信。
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店を出たら、正面にスーパーがあるではないか。直子さんに「ビール買ってくる〜」とダッシュ。今晩は、Samuel Adams にした。レジでおっちゃんが袋に詰めてくれたり、とやさしい。外に出たら、バスが!タイミングばっちり。実は歩こうと思ってたのだ。飛び乗り、無事帰宅。

北京ダック、脂身たっぷりであんまり食べられなかったけど、おばちゃんおすすめの肉ミンチ入り厚揚げ、超おいしかった!!ビールが進む。直子さん、高田渡ファンと知り、一緒に聴く。新潟の旗野父上の話などで盛り上がる。ほろ酔いの私はまたシャワーも浴びずに寝た。
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*フレッドさんについて、下記のHPで知ることができます。
Dream of the water children 
米軍兵士と日本人女性の間に子どもができたとき、家族や親戚に歓迎されないことを理由に中絶されることも多かったそうです。だから、water children(水子)。全部英語なのでたいへんですが、フレッドさんのHP、ぜひ読んでみてください!フレッドさんのような人たちのこともまた現在の日本ではあまり知られていないことだと思います。私もせっせと読んでいるところです。
ブログも書いておられます:AI NO KO

MixRoots Japan
数年前に日本で生まれたミックスルーツの人たちの活動があると知りましたが、フレッドさんとの出会いを通じて、もっと知ってみたいな、と思いました。フレッドさんも関わっているそうです。

JPRN
サンフランシスコ・ベイエリアでのスタディツアーの依頼はぜひこちらに!!

Japan Multicultural Relief Fund
JPRNがベイエリアにいる在日コリアンの友人たちと一緒に立ち上げた、東日本大震災で被災したマイノリティ支援のための基金。東北地方では部落や在日の人たちの運動基盤がなく、どこでどう困っているのかがまだわからない状況のようです。情報があればぜひ教えていただきたいです!

Eclipse Rising
JPRNと共に、上記基金集めに取り組んでいる団体。友人のKさんもメンバーです。注目しています!
「エクリプスライジング(Eclipse Rising)はアメリカのサンフランシスコ・ベイエリアを拠点とした在日コリアンのグループです。国家という枠組みにとらわれない在日コミュニティの基盤を築くことと、一人ひとりのリーダーシップの育成を目的とし2008年に結成されました。エクリプスライジング では、在日特有の歴史性やアイデンティティを大切にし、平等な日本社会そして朝鮮半島の平和的な統一の実現をビジョンとして活動しています。わたしたちは、多様性を尊重し、在日コリアンだけでなく日本の他のマイノリティ、そして世界のマイノリティたちと連帯して差別と闘い、平等を実現するためにさまざまな活動を展開しています。」(HPから転載)

*ブルースのライブで聴いた歌は、Marvin Gaye の What's Going On だった。良い歌だ。

2011年 夏の旅(3)サンフランシスコ [仲良くごはん]

8/10(水)、本日の予定はバークレーに行くこと。サンフランシスコから対岸の方へつながるBART(地下鉄)で30分、Downtown Berkeley駅のすぐ近くにカリフォルニア大学バークレー校がある。学生たちがたくさん居て、本屋さんやカフェが並ぶ通りは楽しく、サンフランシスコに来たら必ずここにも来たいと思う街。

バークレーで朝ごはんを食べたかったので、朝の空腹に耐え、サンフランシスコ中心部までバス→BARTに乗り換えて、バークレーへ。地下鉄の中はけっこうな音がしてしゃべる声が聞き取りにくいくらい。

待ち合わせ場所近くの交差点まで行き、角にあった地元の人たちがくつろいでいるいい感じのカフェに入る。ベーグルのサンドイッチをそれぞれ注文。私はターキー&チーズで、直子さんはハム&チーズ。カフェラテに絵を書いてくれた。
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私の方(右)の絵、「これ何でしょうか?」と聞いたら、「Happy face!」とお店のかっこいいお兄ちゃん、笑顔で答えてくれる。朝からほわ~んとした気持ちになる。

ドリンクを持って席に着いたら、お兄ちゃんがサラダかチップスどっちが良い?というような内容を聞いてきたので、それぞれ頼んだら、ベーグルサンドの横に添えて出してくれた。
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このサンドイッチがホットサンドで超おいしかった!バルサミコ酢のドレッシングのサラダも。また必ず来たい。待ち合わせ時間に15分くらいしかないので、急いで食べる。そうこうしているうちにSさんが私たちのこと見つけてくださり、無事合流。

ほかほかベーグルサンドに後ろ髪引かれつつ、時間がないので、半分は包んで持ち帰り、出る。坂を昇ってUCバークレー校の近くにある教会関係の学校へ。空の色や日差しがサンフランシスコとはまた違う。のんびりした感じ。
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司書の方に図書室まで案内していただく。校舎は何年頃に建てられたのかわからないけれど、とても重厚な雰囲気。細い階段を上って直子さんが調べたいパインメソジスト教会関連の資料のある書庫へ。日本から渡ってきた人を受け入れ、コミュニティー活動の母胎となったパインメソジスト教会なんだそう。写真や教会発行の冊子に目をとおして、直子さんのご親戚の方々の情報はないか、3人で探す。1910年頃の冊子を眺めていると食堂や写真屋さんなど商店の広告記事があった。ケーキ屋さんの広告も。和風?洋風?どんなお菓子を売っていたんだろうと興味津々。私も直子さんのお手伝いとして名簿に目を通す。一つひとつの名前に、それぞれの人生があって、いま生きている日系3世や4世につながっているんだなぁ。そしてまた、歴史の中に埋もれてしまいそうな人びとの痕跡を訪ねて、いま日本から直子さんという人がやってきた。なんかすごい貴重な現場に立ち会わせてもらっている気がする。名簿の中に「S. Yamanaka」という名前を発見。直子さんのおばあちゃんかもしれない。そうだったらいいな。山積みになった本の背表紙に目を通していると、賀川豊彦の詩集を見つけた。しばし読みふける。猿回しの詩と挿絵に、じーん。
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資料調べが一通り終わり、UCバークレー校の中を通り、大学会館のショップに寄り道。UCB学生を気取るべく、Tシャツを購入。キャンパスの雰囲気がとても良い。いろんな肌の色の学生たちがいる。こんなキャンパスで勉強できたらなんて幸せなんでしょう!?
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少し遅めのランチ(Sさんに前の日のカフェにいるときに電話で予約してくださった!)を食べにお目当てのレストランへ向かう。今回の旅でぜひとも訪ねたいと思っていた、Chez Panisse!(Alice Waters さんという女性が40年前にオープンしたレストラン&カフェ。Aliceさんは地産地消やオーガニックフードの提唱者なんだそうです。中学・高校のときにお菓子や料理に熱中していたとき、長尾智子さんや福田里香さんの料理やお菓子の本をせっせと集めていましたが、お二人とも、このレストランをおすすめしていたのです。今回、10数年ぶりに念願が叶いました!)
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サラダ。少ししょっぱかったかな?
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ツナとトマトとナッツのパスタ。おいしい!茹で加減ばっちり。真似してつくってみたい味。
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マイヤーレモンのアイスクリーム。添えてあるクッキーとイチゴも、アイスとの相性がvery good!
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3品だけだったけど、ボリュームがあり、お腹いっぱいになった(パンもたくさん食べたからかな)。窓から差し込み光で、店内の雰囲気がとてもよかった。厨房で働いている皆さんも。でもあたりを見渡すと白人(と少しのアジア人)のお金持ちそうな人たちしか居ない。チップも含めて1人40$(この旅一番の奮発!)。ランチにこの金額を払える人が来てるんだもんなぁ。ちょっと複雑な気分。私の「おいしい」と感じる気持ちは、誰とどんな場所でどんな人に食べさせる料理か、という部分がすごくかかわってることを実感した。味はおいしいけど、そのおいしさが半減するような場面もある。Chez Panisseはずっと来たいと思っていたから来れて満足。今度来るかはわかんないけど。

私は食べたらすぐ眠たくなってしまう。どうにかならないものか。奮い立たせて、午後からはUCバークレー校内にあるEast Asian Libraryへ。配置されている机や椅子の大きさ、明かり、雰囲気、、、「学ぶ」のに最高の場所だなぁ、と思った。閲覧だけなら誰でも出入り自由。日系移民関係の資料が並んでいる書架の前で、関係のありそうな資料を片っ端から開いていく。脱線して和歌山県人会や沖縄県人会の資料などをぱらぱらめくると、写真からそのときの空気が伝わってくるようだ。生まれ故郷を離れて、異国の地で必死で働いて、子どもを育て、根ざしていった人たち。海の向こうの日系コミュニティでは、より日本の文化を守ろうとする力もあったと思うし、差別も含む伝統的な価値観が日本以上に根強く残ることもあったと本で読んだ。上野英信さんの『出ニッポン記』(元炭坑労働者でブラジルに移民した人たちの聞き書き)には部落差別のことも出てくる。それでも、慣れ親しんだ故郷を離れざるを得ない事情を抱え、海を渡った一世の人たちからは、国策の中であったとはいえ、したたかに生きようとする自由の風を感じてしまう。

図書館を出るともう夕方。Sさんを駅までお見送り。あっという間の時間だったけれど、Sさんのおかげで一人では訪ねられない場所を歩き、いろんな話ができて、楽しい2日間だった。お別れした後、大学の近くに行きたい本屋があったので直子さんにも付き合っていただく。途中ネパール雑貨のお店で物色。私はチュニック、直子さんはカバンを購入。Telegraph Ave. の Moe's Books で本を物色。結局、Korean Cuisine の本を購入。

帰り道、小さなスーパーに入り、パン、チーズ、ヨーグルト、ビールを調達。本屋で買ったバッグを早速使って中瓶のビール6本入り持ち帰る(何故ここで?と思いつつ、お目当てのビール見つけてしまったし)。途中生協のお店があり、おつまみ用にとピスタチオとおかきを買ってしまう。直子さんに「ともちゃん、お金使いすぎ!」とあきれられた。

BARTとバスを乗り継いでエイミー宅へ直行で帰る。
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ランチが豪華だったから、あんまりお腹が空いていなかったし、朝に食べ残したベーグルサンドもあったから、夕食の心配をしなくて済んだのがよかった。ビールを飲みながら2人でいろいろしゃべる。エイミーの言うようにビールがおいしい!(本日は"Lagnitas"というビール)
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直子さんとの共通点を発見。"お菓子づくり"という(お互いに、かつての)趣味。たいへん盛り上がる。夜中に焼き菓子を大量に焼いて袋詰めして売ったり、お菓子本を山のように集めていたり、クッキー型を求めて合羽橋を歩いたり。そんなかつての自分たちのことを振り返り、「あの頃、私たち、暇だったのかなー。今はもうできないよねー。」という話になる。でも、そういうこともくぐり抜けての今の私たちなんだな、きっと。

*15歳のときに語学研修の場所としてサンフランシスコを選んだのは、当時読んでいた雑誌Oliveにサンフランシスコ&バークレー特集の記事があったから。当時(1998年くらい?)日本でもカフェブームがあり、Oliveでは「カフェの聖地」と紹介されていた CAFE FANNYChez Panisse のAliceさんが開いたカフェです。North Berkeley駅からの方が近いです。ホームステイ先のあるサンフランシスコ中心部から3日連続でここのメニューを食べに通いました。今回は行けなかったのですが、とっても素敵なカフェです。隣の Acme Bread のパンもおいしいです!

2011年 夏の旅(2)サンフランシスコ [仲良くごはん]

8/9(火)朝。時差ぼけもせず、よく眠れた。お部屋が快適。窓から見える庭がすごく気に入った!朝起きてシャワーを浴びてバタバタと準備をしていたら、エイミーがピーナッツバターとマーマーレードをぬったトーストと紅茶を持って来てくれた。おいしい!たぶん自分が食べるのと一緒に用意してくれたんだと思う。この、お互い気が楽なWelcomeっぷりが心地よい。ロサンゼルス空港で食べ切れなかったサラダ(まつげくるんのおじちゃんに頼んで持ち帰りパックを用意してもらった)のを食べて朝ごはん完了。これで元気に歩き回れそう。
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今日お世話になるSさん(直子さんがホームページを通じて知り合った方)と待ち合わせの場所までバスに乗ってGO! エイミーがバスの地図をくれた。最寄りのバス停へ歩いていく。玄関を出て歩き出したら、もう、サンフランシスコを歩いている、というだけで気分がわくわくしてくる。海から数ブロックの地区。バス停には中国系のおばちゃん。英語は話せないみたい。71番のMuniバスに乗ったらアジア系の人たちが多くてなんとなく落ち着く。なじんでいる私たち2人(たぶん)。前に座った中国系のお父さんとお母さん、それぞれのお腹にバスタオルがぐるっと巻かれていて、中でもぞもぞ。双子ちゃんのもよう!ときどき頭を出している。途中、犬を連れたお兄ちゃんが乗ってくる。飼い主のお兄ちゃんはボロボロのズボンだし、臭うし、犬連れてるし、ホームレスなのかなぁ、と思った。でも、その犬はとてもかわいくお利口。

待ち合わせのMarket st. × Van Ness st. で降りる。ちょっと時間があるので角のお店でカフェラテをテイクアウト。ホームレスのおっちゃんたち、数人が歩道に。黒人のホームレスが多い。裸足で自転車に乗って、落ちている靴を指して「この靴、誰の?」と声かけてくる白人のお兄ちゃんも。

Sさんと無事にお会いでき、Sさん引率で直子さんおじいさん・お父さん縁の地へ。今日と明日、Sさんに大変お世話になるのだ。1920年前後の日米新聞社屋所在地、戸籍にあるお父さんの出生地など。
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途中、かわいいバスを発見。移動図書館だった!
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小高くなっているところからの眺めがとても美しい。100年前の直子さんのおじいちゃん、ここらへんに家を構え、新聞社まで通い、当時子どもだった直子さんのお父さんたちと一緒にここからサンフランシスコの街を眺め、海を眺め、暮らしていたのかなぁ、と思うと、私まで感慨深くなってくる。

ジャパンタウン到着。入口に日系人収容所行きや盆踊り、お店屋さんなどのレリーフからなるモニュメント。
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センターの中にある食堂街で親子丼を食べた。久しぶりの和食の味。けっこうおいしい!
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Japanese Cultural and Community Center of Northern California に立ち寄る。東北大震災の義援金呼びかけポスターが大きく掲げられている。直子さん、事務室にいらっしゃった元気はつらつとした女性と少しお話。お年が82歳ときいてびっくり。体育館でおじいさんたちがダンスしていた。
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そのあと、Japanese American National Library へ。カール松下さんに案内してもらう。山積みの資料にびっくり。日本軍の真珠湾攻撃の後、それまでの日系人団体の資料や写真は日系人自らの手でほとんど焼かれた、という話を伺った。国と国との争いは、こんなふうにして、その時代を生きた人びとの歴史を未来に渡って忘却させてしまうのか。。。去年、日帝植民地下の朝鮮では日記さえ書けなかった、という話を聞いたのを思い出した。何も昔の話でなく、特定の集団について、偏った情報を流したりレッテルを張ったり実際に攻撃したりすること。攻撃を受ける(かもしれない)側がその集団の成員であることを隠すために、成員であることをばらしてしまう様々な徴を自ら葬り去ること、というのは現代の社会でも現在進行形で起こっていることだ。(パールハーバー以降のアメリカ社会における日系人の扱いについてはSさんのこちらの記事が参考になります)

直子さん、おじいさんの名前が掲載された資料、段ボールの中から見事に見つけていた!その横で、カールさんとおしゃべり。京都のご出身らしく、しかも、私の住んでいるところととても近い場所でお生まれになったらしい。久々に故郷に帰ったとき、和菓子屋さんのおばあちゃんが「(こっちはぜんぜん覚えてないのに、向こうは小さい時分の僕のことを覚えていて)あんた、カオルちゃんやないのぉ!」と言って、おまんじゅうを4割引きしてくれた話が面白かった。カールさん、「あっはっはっ」笑っておられた。
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カールさんとお別れし、またバスに乗って、日米新聞社を設立した安孫子久太郎氏の住所と思われるところなどを歩く。途中、バスの窓から海が見えてすごくきれい!
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近くのおしゃれなお店やカフェの並ぶ通りに出てきたので、ここらでお茶の時間にしましょう、ということに。おいしそうなスイーツが並んでいる店に入る。少し悩んで、日本ではなかなかお目にかかれないルバーブ(とストロベリー)のタルトにする。直子さんはチョコレートチーズケーキ。3人でお互いの仕事や家族のこと、時間も忘れてたくさんしゃべる。すごく楽しかった。
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Sさんとお別れして、家路へのバスを待つ。が、来ないため、違う番号のバスに乗って、夕飯が食べられそうなところまで出る。途中、スーパーに入ったら、ロシア系の人たちのための食材が並ぶスーパーだった。ピクルスやピロシキがおいしそうだった。
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てくてく歩いて食べ物屋さんが並ぶ通りに出てきた。ベトナム料理に決める。にぎわっている店に入って、フォーと揚げ春巻きを注文。葉っぱやライムも付いてきて、ベトナムで食べるみたいにおいしかった〜。
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途中、ビールとスナック菓子を調達。「IDを見せて」と言われて、驚いた!10代に間違われたようだ。日本じゃあ30代に見られるのになぁ。不思議。直子さんは「私も見せたらいいかしら??」と冗談を言って、お店やお客のお兄ちゃんを笑わせている。。。すばらしい!

家の近くまで連れていってくれる路面電車に乗ろうと、道路の真ん中の停留所で待っていたら、走ってくる電車の運転手さんから大きく「そこからは乗れないよ〜!」というようなジェスチャーを受け、乗れないのかと思って、少し遠いバス停まで歩くことに(あとで、私たちの居たのが車椅子乗車用のところだっただけ、と知ってがっくり)。バス停まで遠いし、日も暮れてきて(といっても夜9時くらい。サンフランシスコは日が長い)、寒い。
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やっとバス停に着いたのに、今度はバスが来ない。かれこれ待つこと30分。しびれを切らして前の薬局に入って、レジのお兄ちゃんに「このあとバスは来るのか?」と聞いてみる。来るらしい。もう少し待つことに。そこへ、中国系のおばちゃんがやってきた。直子さんと、「(地元の)おばちゃんも来た、ということはバスは来るね!」と元気になる。でも、さらに30分ほどたってもバスは来ない。おばちゃんは途中、誰かに電話をかけた。3人で寒いなか、待つ。もう本当に心細くなってくる。サンフランシスコ満喫の初日にして家に帰れなくなったらどないしよう!?あきらめて歩いて帰るか。にしてもかなり遠い。そんなのしんどい。どうしよう。・・・そんな不安な気持ちでいっぱいの直子さんの私の心の支えは、隣に立つおばちゃんだけだった。おばちゃんがバスをあきらめて歩き出したり、家族が迎えに来たりしたら、もうおしまいだ、バスはいよいよあきらめよう、という気分になってくる。・・・と、そこへ、ついにバスの明かりが!「やった〜!バスが来た〜!」と3人で喜び合いつつ乗車。

無事帰宅。エイミー、まだ起きていて、今日の出来事を報告。無事の帰宅に乾杯。どのビールがよいかわからず、ハイネケンを買ってきた私に「ハイネケンはおいしくない。アメリカのビールはおいしいから、これを飲んだ方がいい。いちばん良いのは生だけど、せめて缶じゃなくて、瓶で。」とノートにビール情報をメモしてくれた。
"Anchor Stream, John Adams, Lagunitas "
よぉ〜っし、全部制覇するで〜、と意気込む。
エイミーの持ってきてくれたワインも美味。
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*案内をしていただいたSさんのホームページ:日系移民の歴史
日系人について多くを知ることができます。Sさんが様々な資料を読みこなし、まとめられた記事の数々。Sさんが感じたこととともに丁寧に綴られています。ぜひアクセスして、日系移民の歴史について知ってください。

2011年 夏の旅(1)サンフランシスコ [仲良くごはん]

今年の夏は、久々に遠出の旅。
行き先はアメリカ西海岸・サンフランシスコとサンディエゴ。
まずはこちらの旅の報告から、一日ずつ、地道に報告します!
(5月〜7月もいろいろあり、宣伝したいイベントもたくさんですが、追々アップしていきます!)

                 * * *

旅に出ることになったのは、「日露戦争の徴兵拒否を理由に20世紀初めに日本からサンフランシスコへ渡った祖父と、そこで生まれて子ども時代を過ごした父の足跡を調べたい。それで本を書きたい」という友人・直子さんから話を受けて。私も、直子さんにつながる人たち、日系アメリカ人としてアメリカで生きた人たちの歴史、今もアメリカで暮らしている日系の人たちに出会いたいと思い、「それなら、一緒に行こーよ!」ということになった。

サンフランシスコは15歳のとき、初の海外旅行一人旅で訪ねた街であり、大学でマイノリティーの問題を学び始めてから出会い直した多様性あふれる魅力的な街であり、大好きな街!
仲良しの直子さんと一緒ときたら、良い旅にならないはずはないのです〜。

8/8(月)、出発直前までドタバタ。まずは伊丹空港へ向かう。最寄り駅からの地下鉄の中で、荷物を入れ過ぎたリュックの肩掛けの部分がちぎれてしまった。なんてこと。気を取り直して、伊丹空港のカバン屋さんへ。良い感じのリュックを発見!このリュックに出会うためにちぎれちゃったのかも、と納得して購入。

夜も遅くに、羽田空港で直子さんと合流し、日付が変わった頃に、ロサンゼルス行き飛行機に乗る。アルコールはワインとビールならタダ!っていうことは飲み放題♪ でも、飛ばしすぎないよう1杯ずつもらう。機内食はあんまりおいしくない。寝て起きて軽く食べて、あっという間にロサンゼルス到着。

直子さんの移動を手伝ってくれた空港スタッフの女性(名前を聞き忘れてしまった…)が楽しい。エルサルバドル出身、とのこと。スペイン語や日本語を教え合った。「アミーガ!」とか「ありがとー!」とか言いながらBaggage受け取り。入国手続きの列に並んでいたら、サンフランシスコ行きの飛行機乗り継ぎまで時間に余裕がなくなり、彼女が「ピピーッ」と言いながら、他のお客さんを追い越して進んでくれる。

入国手続きでは、指紋をとられ、写真をとられ、気分が悪い。嫌な国。日本もだけど。
無事入国したけれど、なんと、乗り継ぎ予定のデルタ航空の飛行機は飛び立っていた!
が、航空会社の都合により、ユナイテッド航空に振り返られることに。一安心。
ユナイテッドの搭乗ゲートまではまた別の黒人の若い青年がサポートしてくれた。彼はL.A.出身らしい。かっこよくて、るんるん♪ 公衆電話からの電話も手伝ってくれた。

L.A.出発は2時間遅れとなり、夜も10時を過ぎ、おなかが空いてきたので、搭乗ゲート近くの「Route 66」という店に入って、一服。チキンとアボカドとチーズのホットサンドイッチと、ボリューミーな豆入りサラダ!飛行機チェンジの途中に出会った日本の大学生の女子も誘って一緒に食べる。ウェイターのおじさんのまつげがくるんとしていてかわいい。「Blue Moon」というビール注文。ちょうど出発前にNat King Cole の”Blue Moon”を聴いていたので嬉しい。"Route 66"といい、Jazzな感じ〜。
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サンフランシスコ空港到着は、夜中12時半頃。そこから、”Super Shuttle”という乗り合い大型タクシーに乗って、今回滞在させてもらうエイミーのお宅へ。エイミー、待っていてくれた!

サンフランシスコの夜は寒い。お部屋に案内されて、すぐにバタンキュー。
(-.-)Zzz・・・・

*聴いてみてくださいませ。
ROUTE 66 - Nat King Cole
BLUE MOON - Nat King Cole
ちなみに、こちらも好きです。
BLUE MOON - Chiemi Eri

今週のお惣菜 from 新潟 (9/2〜) [ひとりのごはん]

・鶏手羽元醤油煮
・トリハムマリネ
・鶏ひき肉の袋煮
・おから酢の物
・白和え
・さつまいもの甘煮
・きんぴら特大
・ひじき特大
・いもサラダ
・野菜オムレツ
・カボチャ胡麻よごし
・十全なすとピーマンの味噌炒め
・ジャガイモとエリンギのローズマリー炒め
・ゴーヤチャンプルー
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鶏肉ときのこのごはんを炊いた。仕上げのシソと胡麻がアクセント♪
(昨日美容室に行って読んでいた雑誌で見つけたレシピ。覚えて帰ってさっそく作ってみた)

番外編、朝と昼のメニュー。
朝:CAFE FANNY GRANOLA with yogurt, banana, honey(from California)
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昼:おいしいキムチが手に入り、友人からいただいた冷麺をやっと食べる。
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今週のお惣菜 from 新潟 (8/20〜) [ひとりのごはん]

・鶏手羽元の酢醤油煮
・カボチャ胡麻よごし
・スタッフトピーマン
・おから酢の物
・ひじき煮
・厚揚げと十全茄子の煮物

おまけ
・がんづき
・キンピラゴボウ
・カレーもやし
・ゴーヤチャンプル
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今週のお惣菜 from 新潟 (7/23〜) [ひとりのごはん]

・スパイス入り塩豚とじゃがいもと豆のトマト煮
・とり手羽元の酢醤油煮
・ゆで鶏と蒸し茄子の胡麻ダレかけ
・カレー風味のアジのマリネ
・おから酢の物
・茄子とズッキーニの味噌炒め
・カナポータ

今日のおまけ
・カレーもやし
・キンピラごぼう
・ひじき煮
・ズッキーニの塩麹浸
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今週のお惣菜 from 新潟 (7/9〜) [ひとりのごはん]

・カナポータ(夏野菜のトマト煮)
・冷やし茄子
・トマト入りもずく酢
・煮豆いりおから酢の物
・味噌きんぴら
・ひじき煮
・鶏胸肉のオイスターソース炒め
・ノルウェーサーモンのソテー

おまけ
・金時豆甘味噌煮
・きゃべつおひたし
・カレーもやし
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今週のお惣菜 from 新潟 (7/2〜) [ひとりのごはん]

・野菜オムレツ
・ひじき
・かぼちゃサブジ
・ほうれん草の茸ひたし
・きんぴらごぼう
・カレーもやし
・サバ味噌煮
・とりつくねバーグ(大根おろしとポン酢で食べて)
・じゃがいもとエリンギのローズマリー炒め

おまけ
・おから酢の物(煮豆入り)
・人参としらたきの子まぶし
・夏野菜の味噌炒め
・昆布と生姜のつくだに
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