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2011年 夏の旅(4)サンフランシスコ [仲良くごはん]

8/11(木)今日はあかねさんとお会いする。
Mission St. と 10th St. のCafe Cumaicaでお昼前に待ち合わせ。少し早くに到着したので、カフェラテを注文しに行ったら、レジの横のバナナケーキが目に入り、思わず注文。サイズがやや大きくて、味もおいしい。アメリカって量が多いからいいな。日本はやっぱり少食なんだろうか。アメリカだと物足りない感がない。地元の人たちなごんでいて、雰囲気の良いカフェ。

あかねさんはベイエリアのNPOであるJPRNの事務局長で、ベイエリアの市民活動にとても詳しい方。部落や在日の問題についてもよくご存知で、日本の団体や個人へのマイノリティの視点を踏まえた視察ツアーを企画されている。後輩たちのサンフランシスコでのスタディツアーのコーディネートを依頼させていただいたこともある。数年前に日本でお会いして以来だったので、今回ぜひお会いしたいとご連絡したところ、お忙しい中、快く引き受けてくださった。以前、日系アメリカ人の中で部落差別があった、と友人から聞いたことがあったので、もしそのことについてお話を聞かせてもらえる方がいらっしゃったらお会いしたいのですが、、、とご相談したところ「残念ながらそういう方は見当たらないが、黒人と日本人の間に生まれた友人を紹介することができます」とありがたいお返事をくださった。

あかねさん、間もなくフレッドさんがいらっしゃった。フレッドさん、とても優しそうな中年の男性。自己紹介をし、フレッドさんにご自身の生い立ちを聞かせていただきたい、とお願いする。“ハーフ”でもなく、“ダブル”でもなく、自分のことを“あいのこ”と呼んでおられた。「あいのこ、あいのこ、って言われていじめられた。そのことを隠さない呼び方の方がいいでしょ?」って。幼い頃暮らした日本では“ヘンな日本人”と言われ、アメリカでは黒人でも日系人でもないというまなざしを受け、大学では日系アメリカ人のクラブへの入会を拒否された、ということだった。

同じく“あいのこ”のサブリナさんもいらっしゃって、 お話を聞く。お二人は部落問題についてもとても関心を持ってくださり、あかねさんに通訳をお願いし、日本での当事者運動の状況や差別の実態、出身者が見えない存在であること、自分や取り組んでいきたいこと、など語れる範囲でお伝えした。印象に残っているのが、「identityの問題だけではなくて、powerをどう獲得するかが重要。戦略を持って運動しないといけない。マイノリティのグループが互いに排除し合うことがよくあるが、異なるもの同士が連帯し、大きな力にしていかないといけない。silenceは絶対ダメ、声を上げないと。大変だし疲れるけど、声を上げ続けないと状況は後退してしまう。」という話。アメリカ社会の差別がどんなふうに現れるのかも聞かせてもらったため、よけいにズシンときた。何か揉め事があり、警察沙汰になったとき、“白人でないこと”が悪いのはこっちだろう、という見方を導くのに十分だなんて。

アメリカで生き抜くのも生易しくない。でも、こうやって、自分とは何者かを問い、権利を勝ち取るためにそれぞれのやり方で闘っている同志もまたたくさん生きる社会なんだと思った。先人たちの運動により、何が変わり、何がまだ変わってないのかを知り、バトンを受け継がなくては、と思う。時計を見ると2時間半くらいがたっていた。

お二人とお別れして、少しお腹が空いてきたので、別のお店に移動してパンとスープを食べる。その後BARTに乗り、あかねさんにオークランドを案内していただくのだ。
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オークランドもまた、中華系、日系などアジア系の人たちがたくさん住んでいる街。まず駅を降りて、少し歩いて、仏教系の寺院なんだけど、churchと名付けらた建物。お盆のときにはお祭りも行われていて、コミュニティの活動拠点になっているそう。
そこから少し歩くと、チャイナタウン。まず、JPRNの事務所が入っているビルには入り、説明を受けた。もう30年も前にバークレーの学生たちが始めたこの地域のアジア系の人たちの、仕事や医療や福祉をサポートするNPOなど20くらいの団体が入っている。継続し、社会的に認められているとのこと。ビルそのものも、市民活動の拠点になるように、この地域の旧い建築物をリフォームされたらしい。
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アジア系の人たち向けの病院もある。言葉の壁があったら病気したとき大変だもんな。
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薬局の奥に、郵便局もあった。中国語やベトナム語の案内。
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図書館はお年寄りが集まる場所になっていて、行政やNPOが情報を伝える場所としても機能しているんだそう。人が集まる場所がちゃんとある、というのがとても大切だと思った。とりわけマイノリティの人たちにとって。
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さらに中心部へ向かう途中、歩道には路上生活をしていると思われる黒人の男性が目につく。目の前に現れたホテルについて教えてもらう。これは貧しい人たちが最初に入居してくるところで、中はこの家賃でこの条件!?という環境の悪いところらしい。入居者には移民や障害者などが多い。キッチンがないからNPOが提供するスープをもらう場合も少なくない。そういう暮らしの中で必死でお金を貯めて、そこを出て行く人もいる。道路の向こう側に立つその建物を眺めつつ、小さな窓の1つひとつの奥にある生活はどのようなものか、と思った。街は発展が進む地区とそうでない地区の差が激しい。
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最後に市庁舎に連れていってもらった。その名のとおり、大きなオーク(樫)の木が生えていて、その奥に広場。この広場がアメリカの民主主義の象徴。市民が声をあげれば、どうであれ市議会が無視することはなく、何らかの回答を出すという。広場はそのときに市民が集う場所になる。今日はたまたま、ライブが始まろうとしていた。黒人のおっちゃんたちが準備をしている。
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ブルースのライブのようだ。広場の周りに徐々に人が集まり始まった。黒人の人たちが多い。演奏が始まると、初老のカップルが前に出てきて、踊り始めた。とってもかっこ良くて釘付け。筋金入りのステップ!アジア系のおばあちゃんも飛び込んできて、若い男の子と踊っていて楽しそう。こういうところで一緒に踊れるくらいになりたいな〜って思った。どんどん盛り上がっている。今回の旅でJazzライブに行きたいな、と思っていたので、ほんとにラッキーだった。タダだし、地元の人と一緒だし。隣であかねさんと直子さんは、震災の被害や原発事故、広島原爆の話について語り合っている。
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名残惜しいが、そろそろ帰ることに。あかねさんのおかげで本当に充実した一日となった。ありがとうございました!

サンフランシスコに戻り、現代美術館のミュージアムショップでお土産をみよう、ということに。時間がなくてショップのみ。オシャレな雑貨やアクセサリーが売っているのでおすすめ。

いつもの71番に乗って帰路。さぁ、今日の晩ごはんはどうするか。いつもバスで通るおいしいもの屋さん通りのIrving St.の中華料理でテイクアウトしよう!ということに。まだ明かりがついているお店を発見し、降りる。時刻はもうすぐ9時になろうとしていた。北京ダックがぶらさがる店へ。
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おかずが並んでいて、いくつか気になるのがあったけど、おばちゃんが厚揚げの炒め物をおすすめしてくるので、じゃあ、それで!と注文したら、バットに残っていた全部をぎゅうぎゅう詰め込んでくれる。あとはインゲン豆と北京ダック。
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おやじの背中が頼もしい。ここの料理はおいしいだろう、と確信。
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店を出たら、正面にスーパーがあるではないか。直子さんに「ビール買ってくる〜」とダッシュ。今晩は、Samuel Adams にした。レジでおっちゃんが袋に詰めてくれたり、とやさしい。外に出たら、バスが!タイミングばっちり。実は歩こうと思ってたのだ。飛び乗り、無事帰宅。

北京ダック、脂身たっぷりであんまり食べられなかったけど、おばちゃんおすすめの肉ミンチ入り厚揚げ、超おいしかった!!ビールが進む。直子さん、高田渡ファンと知り、一緒に聴く。新潟の旗野父上の話などで盛り上がる。ほろ酔いの私はまたシャワーも浴びずに寝た。
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*フレッドさんについて、下記のHPで知ることができます。
Dream of the water children 
米軍兵士と日本人女性の間に子どもができたとき、家族や親戚に歓迎されないことを理由に中絶されることも多かったそうです。だから、water children(水子)。全部英語なのでたいへんですが、フレッドさんのHP、ぜひ読んでみてください!フレッドさんのような人たちのこともまた現在の日本ではあまり知られていないことだと思います。私もせっせと読んでいるところです。
ブログも書いておられます:AI NO KO

MixRoots Japan
数年前に日本で生まれたミックスルーツの人たちの活動があると知りましたが、フレッドさんとの出会いを通じて、もっと知ってみたいな、と思いました。フレッドさんも関わっているそうです。

JPRN
サンフランシスコ・ベイエリアでのスタディツアーの依頼はぜひこちらに!!

Japan Multicultural Relief Fund
JPRNがベイエリアにいる在日コリアンの友人たちと一緒に立ち上げた、東日本大震災で被災したマイノリティ支援のための基金。東北地方では部落や在日の人たちの運動基盤がなく、どこでどう困っているのかがまだわからない状況のようです。情報があればぜひ教えていただきたいです!

Eclipse Rising
JPRNと共に、上記基金集めに取り組んでいる団体。友人のKさんもメンバーです。注目しています!
「エクリプスライジング(Eclipse Rising)はアメリカのサンフランシスコ・ベイエリアを拠点とした在日コリアンのグループです。国家という枠組みにとらわれない在日コミュニティの基盤を築くことと、一人ひとりのリーダーシップの育成を目的とし2008年に結成されました。エクリプスライジング では、在日特有の歴史性やアイデンティティを大切にし、平等な日本社会そして朝鮮半島の平和的な統一の実現をビジョンとして活動しています。わたしたちは、多様性を尊重し、在日コリアンだけでなく日本の他のマイノリティ、そして世界のマイノリティたちと連帯して差別と闘い、平等を実現するためにさまざまな活動を展開しています。」(HPから転載)

*ブルースのライブで聴いた歌は、Marvin Gaye の What's Going On だった。良い歌だ。

2011年 夏の旅(3)サンフランシスコ [仲良くごはん]

8/10(水)、本日の予定はバークレーに行くこと。サンフランシスコから対岸の方へつながるBART(地下鉄)で30分、Downtown Berkeley駅のすぐ近くにカリフォルニア大学バークレー校がある。学生たちがたくさん居て、本屋さんやカフェが並ぶ通りは楽しく、サンフランシスコに来たら必ずここにも来たいと思う街。

バークレーで朝ごはんを食べたかったので、朝の空腹に耐え、サンフランシスコ中心部までバス→BARTに乗り換えて、バークレーへ。地下鉄の中はけっこうな音がしてしゃべる声が聞き取りにくいくらい。

待ち合わせ場所近くの交差点まで行き、角にあった地元の人たちがくつろいでいるいい感じのカフェに入る。ベーグルのサンドイッチをそれぞれ注文。私はターキー&チーズで、直子さんはハム&チーズ。カフェラテに絵を書いてくれた。
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私の方(右)の絵、「これ何でしょうか?」と聞いたら、「Happy face!」とお店のかっこいいお兄ちゃん、笑顔で答えてくれる。朝からほわ~んとした気持ちになる。

ドリンクを持って席に着いたら、お兄ちゃんがサラダかチップスどっちが良い?というような内容を聞いてきたので、それぞれ頼んだら、ベーグルサンドの横に添えて出してくれた。
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このサンドイッチがホットサンドで超おいしかった!バルサミコ酢のドレッシングのサラダも。また必ず来たい。待ち合わせ時間に15分くらいしかないので、急いで食べる。そうこうしているうちにSさんが私たちのこと見つけてくださり、無事合流。

ほかほかベーグルサンドに後ろ髪引かれつつ、時間がないので、半分は包んで持ち帰り、出る。坂を昇ってUCバークレー校の近くにある教会関係の学校へ。空の色や日差しがサンフランシスコとはまた違う。のんびりした感じ。
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司書の方に図書室まで案内していただく。校舎は何年頃に建てられたのかわからないけれど、とても重厚な雰囲気。細い階段を上って直子さんが調べたいパインメソジスト教会関連の資料のある書庫へ。日本から渡ってきた人を受け入れ、コミュニティー活動の母胎となったパインメソジスト教会なんだそう。写真や教会発行の冊子に目をとおして、直子さんのご親戚の方々の情報はないか、3人で探す。1910年頃の冊子を眺めていると食堂や写真屋さんなど商店の広告記事があった。ケーキ屋さんの広告も。和風?洋風?どんなお菓子を売っていたんだろうと興味津々。私も直子さんのお手伝いとして名簿に目を通す。一つひとつの名前に、それぞれの人生があって、いま生きている日系3世や4世につながっているんだなぁ。そしてまた、歴史の中に埋もれてしまいそうな人びとの痕跡を訪ねて、いま日本から直子さんという人がやってきた。なんかすごい貴重な現場に立ち会わせてもらっている気がする。名簿の中に「S. Yamanaka」という名前を発見。直子さんのおばあちゃんかもしれない。そうだったらいいな。山積みになった本の背表紙に目を通していると、賀川豊彦の詩集を見つけた。しばし読みふける。猿回しの詩と挿絵に、じーん。
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資料調べが一通り終わり、UCバークレー校の中を通り、大学会館のショップに寄り道。UCB学生を気取るべく、Tシャツを購入。キャンパスの雰囲気がとても良い。いろんな肌の色の学生たちがいる。こんなキャンパスで勉強できたらなんて幸せなんでしょう!?
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少し遅めのランチ(Sさんに前の日のカフェにいるときに電話で予約してくださった!)を食べにお目当てのレストランへ向かう。今回の旅でぜひとも訪ねたいと思っていた、Chez Panisse!(Alice Waters さんという女性が40年前にオープンしたレストラン&カフェ。Aliceさんは地産地消やオーガニックフードの提唱者なんだそうです。中学・高校のときにお菓子や料理に熱中していたとき、長尾智子さんや福田里香さんの料理やお菓子の本をせっせと集めていましたが、お二人とも、このレストランをおすすめしていたのです。今回、10数年ぶりに念願が叶いました!)
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サラダ。少ししょっぱかったかな?
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ツナとトマトとナッツのパスタ。おいしい!茹で加減ばっちり。真似してつくってみたい味。
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マイヤーレモンのアイスクリーム。添えてあるクッキーとイチゴも、アイスとの相性がvery good!
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3品だけだったけど、ボリュームがあり、お腹いっぱいになった(パンもたくさん食べたからかな)。窓から差し込み光で、店内の雰囲気がとてもよかった。厨房で働いている皆さんも。でもあたりを見渡すと白人(と少しのアジア人)のお金持ちそうな人たちしか居ない。チップも含めて1人40$(この旅一番の奮発!)。ランチにこの金額を払える人が来てるんだもんなぁ。ちょっと複雑な気分。私の「おいしい」と感じる気持ちは、誰とどんな場所でどんな人に食べさせる料理か、という部分がすごくかかわってることを実感した。味はおいしいけど、そのおいしさが半減するような場面もある。Chez Panisseはずっと来たいと思っていたから来れて満足。今度来るかはわかんないけど。

私は食べたらすぐ眠たくなってしまう。どうにかならないものか。奮い立たせて、午後からはUCバークレー校内にあるEast Asian Libraryへ。配置されている机や椅子の大きさ、明かり、雰囲気、、、「学ぶ」のに最高の場所だなぁ、と思った。閲覧だけなら誰でも出入り自由。日系移民関係の資料が並んでいる書架の前で、関係のありそうな資料を片っ端から開いていく。脱線して和歌山県人会や沖縄県人会の資料などをぱらぱらめくると、写真からそのときの空気が伝わってくるようだ。生まれ故郷を離れて、異国の地で必死で働いて、子どもを育て、根ざしていった人たち。海の向こうの日系コミュニティでは、より日本の文化を守ろうとする力もあったと思うし、差別も含む伝統的な価値観が日本以上に根強く残ることもあったと本で読んだ。上野英信さんの『出ニッポン記』(元炭坑労働者でブラジルに移民した人たちの聞き書き)には部落差別のことも出てくる。それでも、慣れ親しんだ故郷を離れざるを得ない事情を抱え、海を渡った一世の人たちからは、国策の中であったとはいえ、したたかに生きようとする自由の風を感じてしまう。

図書館を出るともう夕方。Sさんを駅までお見送り。あっという間の時間だったけれど、Sさんのおかげで一人では訪ねられない場所を歩き、いろんな話ができて、楽しい2日間だった。お別れした後、大学の近くに行きたい本屋があったので直子さんにも付き合っていただく。途中ネパール雑貨のお店で物色。私はチュニック、直子さんはカバンを購入。Telegraph Ave. の Moe's Books で本を物色。結局、Korean Cuisine の本を購入。

帰り道、小さなスーパーに入り、パン、チーズ、ヨーグルト、ビールを調達。本屋で買ったバッグを早速使って中瓶のビール6本入り持ち帰る(何故ここで?と思いつつ、お目当てのビール見つけてしまったし)。途中生協のお店があり、おつまみ用にとピスタチオとおかきを買ってしまう。直子さんに「ともちゃん、お金使いすぎ!」とあきれられた。

BARTとバスを乗り継いでエイミー宅へ直行で帰る。
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ランチが豪華だったから、あんまりお腹が空いていなかったし、朝に食べ残したベーグルサンドもあったから、夕食の心配をしなくて済んだのがよかった。ビールを飲みながら2人でいろいろしゃべる。エイミーの言うようにビールがおいしい!(本日は"Lagnitas"というビール)
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直子さんとの共通点を発見。"お菓子づくり"という(お互いに、かつての)趣味。たいへん盛り上がる。夜中に焼き菓子を大量に焼いて袋詰めして売ったり、お菓子本を山のように集めていたり、クッキー型を求めて合羽橋を歩いたり。そんなかつての自分たちのことを振り返り、「あの頃、私たち、暇だったのかなー。今はもうできないよねー。」という話になる。でも、そういうこともくぐり抜けての今の私たちなんだな、きっと。

*15歳のときに語学研修の場所としてサンフランシスコを選んだのは、当時読んでいた雑誌Oliveにサンフランシスコ&バークレー特集の記事があったから。当時(1998年くらい?)日本でもカフェブームがあり、Oliveでは「カフェの聖地」と紹介されていた CAFE FANNYChez Panisse のAliceさんが開いたカフェです。North Berkeley駅からの方が近いです。ホームステイ先のあるサンフランシスコ中心部から3日連続でここのメニューを食べに通いました。今回は行けなかったのですが、とっても素敵なカフェです。隣の Acme Bread のパンもおいしいです!

2011年 夏の旅(2)サンフランシスコ [仲良くごはん]

8/9(火)朝。時差ぼけもせず、よく眠れた。お部屋が快適。窓から見える庭がすごく気に入った!朝起きてシャワーを浴びてバタバタと準備をしていたら、エイミーがピーナッツバターとマーマーレードをぬったトーストと紅茶を持って来てくれた。おいしい!たぶん自分が食べるのと一緒に用意してくれたんだと思う。この、お互い気が楽なWelcomeっぷりが心地よい。ロサンゼルス空港で食べ切れなかったサラダ(まつげくるんのおじちゃんに頼んで持ち帰りパックを用意してもらった)のを食べて朝ごはん完了。これで元気に歩き回れそう。
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今日お世話になるSさん(直子さんがホームページを通じて知り合った方)と待ち合わせの場所までバスに乗ってGO! エイミーがバスの地図をくれた。最寄りのバス停へ歩いていく。玄関を出て歩き出したら、もう、サンフランシスコを歩いている、というだけで気分がわくわくしてくる。海から数ブロックの地区。バス停には中国系のおばちゃん。英語は話せないみたい。71番のMuniバスに乗ったらアジア系の人たちが多くてなんとなく落ち着く。なじんでいる私たち2人(たぶん)。前に座った中国系のお父さんとお母さん、それぞれのお腹にバスタオルがぐるっと巻かれていて、中でもぞもぞ。双子ちゃんのもよう!ときどき頭を出している。途中、犬を連れたお兄ちゃんが乗ってくる。飼い主のお兄ちゃんはボロボロのズボンだし、臭うし、犬連れてるし、ホームレスなのかなぁ、と思った。でも、その犬はとてもかわいくお利口。

待ち合わせのMarket st. × Van Ness st. で降りる。ちょっと時間があるので角のお店でカフェラテをテイクアウト。ホームレスのおっちゃんたち、数人が歩道に。黒人のホームレスが多い。裸足で自転車に乗って、落ちている靴を指して「この靴、誰の?」と声かけてくる白人のお兄ちゃんも。

Sさんと無事にお会いでき、Sさん引率で直子さんおじいさん・お父さん縁の地へ。今日と明日、Sさんに大変お世話になるのだ。1920年前後の日米新聞社屋所在地、戸籍にあるお父さんの出生地など。
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途中、かわいいバスを発見。移動図書館だった!
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小高くなっているところからの眺めがとても美しい。100年前の直子さんのおじいちゃん、ここらへんに家を構え、新聞社まで通い、当時子どもだった直子さんのお父さんたちと一緒にここからサンフランシスコの街を眺め、海を眺め、暮らしていたのかなぁ、と思うと、私まで感慨深くなってくる。

ジャパンタウン到着。入口に日系人収容所行きや盆踊り、お店屋さんなどのレリーフからなるモニュメント。
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センターの中にある食堂街で親子丼を食べた。久しぶりの和食の味。けっこうおいしい!
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Japanese Cultural and Community Center of Northern California に立ち寄る。東北大震災の義援金呼びかけポスターが大きく掲げられている。直子さん、事務室にいらっしゃった元気はつらつとした女性と少しお話。お年が82歳ときいてびっくり。体育館でおじいさんたちがダンスしていた。
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そのあと、Japanese American National Library へ。カール松下さんに案内してもらう。山積みの資料にびっくり。日本軍の真珠湾攻撃の後、それまでの日系人団体の資料や写真は日系人自らの手でほとんど焼かれた、という話を伺った。国と国との争いは、こんなふうにして、その時代を生きた人びとの歴史を未来に渡って忘却させてしまうのか。。。去年、日帝植民地下の朝鮮では日記さえ書けなかった、という話を聞いたのを思い出した。何も昔の話でなく、特定の集団について、偏った情報を流したりレッテルを張ったり実際に攻撃したりすること。攻撃を受ける(かもしれない)側がその集団の成員であることを隠すために、成員であることをばらしてしまう様々な徴を自ら葬り去ること、というのは現代の社会でも現在進行形で起こっていることだ。(パールハーバー以降のアメリカ社会における日系人の扱いについてはSさんのこちらの記事が参考になります)

直子さん、おじいさんの名前が掲載された資料、段ボールの中から見事に見つけていた!その横で、カールさんとおしゃべり。京都のご出身らしく、しかも、私の住んでいるところととても近い場所でお生まれになったらしい。久々に故郷に帰ったとき、和菓子屋さんのおばあちゃんが「(こっちはぜんぜん覚えてないのに、向こうは小さい時分の僕のことを覚えていて)あんた、カオルちゃんやないのぉ!」と言って、おまんじゅうを4割引きしてくれた話が面白かった。カールさん、「あっはっはっ」笑っておられた。
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カールさんとお別れし、またバスに乗って、日米新聞社を設立した安孫子久太郎氏の住所と思われるところなどを歩く。途中、バスの窓から海が見えてすごくきれい!
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近くのおしゃれなお店やカフェの並ぶ通りに出てきたので、ここらでお茶の時間にしましょう、ということに。おいしそうなスイーツが並んでいる店に入る。少し悩んで、日本ではなかなかお目にかかれないルバーブ(とストロベリー)のタルトにする。直子さんはチョコレートチーズケーキ。3人でお互いの仕事や家族のこと、時間も忘れてたくさんしゃべる。すごく楽しかった。
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Sさんとお別れして、家路へのバスを待つ。が、来ないため、違う番号のバスに乗って、夕飯が食べられそうなところまで出る。途中、スーパーに入ったら、ロシア系の人たちのための食材が並ぶスーパーだった。ピクルスやピロシキがおいしそうだった。
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てくてく歩いて食べ物屋さんが並ぶ通りに出てきた。ベトナム料理に決める。にぎわっている店に入って、フォーと揚げ春巻きを注文。葉っぱやライムも付いてきて、ベトナムで食べるみたいにおいしかった〜。
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途中、ビールとスナック菓子を調達。「IDを見せて」と言われて、驚いた!10代に間違われたようだ。日本じゃあ30代に見られるのになぁ。不思議。直子さんは「私も見せたらいいかしら??」と冗談を言って、お店やお客のお兄ちゃんを笑わせている。。。すばらしい!

家の近くまで連れていってくれる路面電車に乗ろうと、道路の真ん中の停留所で待っていたら、走ってくる電車の運転手さんから大きく「そこからは乗れないよ〜!」というようなジェスチャーを受け、乗れないのかと思って、少し遠いバス停まで歩くことに(あとで、私たちの居たのが車椅子乗車用のところだっただけ、と知ってがっくり)。バス停まで遠いし、日も暮れてきて(といっても夜9時くらい。サンフランシスコは日が長い)、寒い。
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やっとバス停に着いたのに、今度はバスが来ない。かれこれ待つこと30分。しびれを切らして前の薬局に入って、レジのお兄ちゃんに「このあとバスは来るのか?」と聞いてみる。来るらしい。もう少し待つことに。そこへ、中国系のおばちゃんがやってきた。直子さんと、「(地元の)おばちゃんも来た、ということはバスは来るね!」と元気になる。でも、さらに30分ほどたってもバスは来ない。おばちゃんは途中、誰かに電話をかけた。3人で寒いなか、待つ。もう本当に心細くなってくる。サンフランシスコ満喫の初日にして家に帰れなくなったらどないしよう!?あきらめて歩いて帰るか。にしてもかなり遠い。そんなのしんどい。どうしよう。・・・そんな不安な気持ちでいっぱいの直子さんの私の心の支えは、隣に立つおばちゃんだけだった。おばちゃんがバスをあきらめて歩き出したり、家族が迎えに来たりしたら、もうおしまいだ、バスはいよいよあきらめよう、という気分になってくる。・・・と、そこへ、ついにバスの明かりが!「やった〜!バスが来た〜!」と3人で喜び合いつつ乗車。

無事帰宅。エイミー、まだ起きていて、今日の出来事を報告。無事の帰宅に乾杯。どのビールがよいかわからず、ハイネケンを買ってきた私に「ハイネケンはおいしくない。アメリカのビールはおいしいから、これを飲んだ方がいい。いちばん良いのは生だけど、せめて缶じゃなくて、瓶で。」とノートにビール情報をメモしてくれた。
"Anchor Stream, John Adams, Lagunitas "
よぉ〜っし、全部制覇するで〜、と意気込む。
エイミーの持ってきてくれたワインも美味。
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*案内をしていただいたSさんのホームページ:日系移民の歴史
日系人について多くを知ることができます。Sさんが様々な資料を読みこなし、まとめられた記事の数々。Sさんが感じたこととともに丁寧に綴られています。ぜひアクセスして、日系移民の歴史について知ってください。

2011年 夏の旅(1)サンフランシスコ [仲良くごはん]

今年の夏は、久々に遠出の旅。
行き先はアメリカ西海岸・サンフランシスコとサンディエゴ。
まずはこちらの旅の報告から、一日ずつ、地道に報告します!
(5月〜7月もいろいろあり、宣伝したいイベントもたくさんですが、追々アップしていきます!)

                 * * *

旅に出ることになったのは、「日露戦争の徴兵拒否を理由に20世紀初めに日本からサンフランシスコへ渡った祖父と、そこで生まれて子ども時代を過ごした父の足跡を調べたい。それで本を書きたい」という友人・直子さんから話を受けて。私も、直子さんにつながる人たち、日系アメリカ人としてアメリカで生きた人たちの歴史、今もアメリカで暮らしている日系の人たちに出会いたいと思い、「それなら、一緒に行こーよ!」ということになった。

サンフランシスコは15歳のとき、初の海外旅行一人旅で訪ねた街であり、大学でマイノリティーの問題を学び始めてから出会い直した多様性あふれる魅力的な街であり、大好きな街!
仲良しの直子さんと一緒ときたら、良い旅にならないはずはないのです〜。

8/8(月)、出発直前までドタバタ。まずは伊丹空港へ向かう。最寄り駅からの地下鉄の中で、荷物を入れ過ぎたリュックの肩掛けの部分がちぎれてしまった。なんてこと。気を取り直して、伊丹空港のカバン屋さんへ。良い感じのリュックを発見!このリュックに出会うためにちぎれちゃったのかも、と納得して購入。

夜も遅くに、羽田空港で直子さんと合流し、日付が変わった頃に、ロサンゼルス行き飛行機に乗る。アルコールはワインとビールならタダ!っていうことは飲み放題♪ でも、飛ばしすぎないよう1杯ずつもらう。機内食はあんまりおいしくない。寝て起きて軽く食べて、あっという間にロサンゼルス到着。

直子さんの移動を手伝ってくれた空港スタッフの女性(名前を聞き忘れてしまった…)が楽しい。エルサルバドル出身、とのこと。スペイン語や日本語を教え合った。「アミーガ!」とか「ありがとー!」とか言いながらBaggage受け取り。入国手続きの列に並んでいたら、サンフランシスコ行きの飛行機乗り継ぎまで時間に余裕がなくなり、彼女が「ピピーッ」と言いながら、他のお客さんを追い越して進んでくれる。

入国手続きでは、指紋をとられ、写真をとられ、気分が悪い。嫌な国。日本もだけど。
無事入国したけれど、なんと、乗り継ぎ予定のデルタ航空の飛行機は飛び立っていた!
が、航空会社の都合により、ユナイテッド航空に振り返られることに。一安心。
ユナイテッドの搭乗ゲートまではまた別の黒人の若い青年がサポートしてくれた。彼はL.A.出身らしい。かっこよくて、るんるん♪ 公衆電話からの電話も手伝ってくれた。

L.A.出発は2時間遅れとなり、夜も10時を過ぎ、おなかが空いてきたので、搭乗ゲート近くの「Route 66」という店に入って、一服。チキンとアボカドとチーズのホットサンドイッチと、ボリューミーな豆入りサラダ!飛行機チェンジの途中に出会った日本の大学生の女子も誘って一緒に食べる。ウェイターのおじさんのまつげがくるんとしていてかわいい。「Blue Moon」というビール注文。ちょうど出発前にNat King Cole の”Blue Moon”を聴いていたので嬉しい。"Route 66"といい、Jazzな感じ〜。
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サンフランシスコ空港到着は、夜中12時半頃。そこから、”Super Shuttle”という乗り合い大型タクシーに乗って、今回滞在させてもらうエイミーのお宅へ。エイミー、待っていてくれた!

サンフランシスコの夜は寒い。お部屋に案内されて、すぐにバタンキュー。
(-.-)Zzz・・・・

*聴いてみてくださいませ。
ROUTE 66 - Nat King Cole
BLUE MOON - Nat King Cole
ちなみに、こちらも好きです。
BLUE MOON - Chiemi Eri

5/5(木)〜7(土) 南木曽の木地屋さんに会いに行く旅 [仲良くごはん]

酔っぱらっていたのか、5時半に起きないといけないのにもかかわらず、目覚ましかけていなかったもよう。同じ部屋のSさんが「大丈夫かぁー?」と起こしてくださって、電車に間に合った!Sさんに感謝!
咲花駅から磐越西線にゴトゴトゆられて新潟駅へ。いつの間にか眠りこけてしまったもよう。「お客さーん!」と車掌さんが声をかけてくださって、「わぁ!すみませんすみません」と降りる。
ちゃんと起こしてくれる人がいてよかった。。。おかげさまで無事に長野行きバスに乗り込み、うとうとしてたらあっという間に長野市内へ。ハナミズキが満開できれい。

バスを降りたちょうど目の前におやき専門店。迷わず中に入って、春らしい具のおやきを購入。長野から塩尻までの電車からの風景がとてもよかった。山の中を走る電車。
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お昼2時半に伊那市に到着。直子さんが迎えてくださり、「工房やまと」のスタッフの方が車を出してくださり、「かんてんぱぱホール」まで連れていってくださる。こちらで開催されていた南木曽の木地屋・小椋榮一さんの作品展会場へ到着すると、直子さんのご紹介で、キリッと場内でお客さんの応対をされていた正幸さんがわざわざ挨拶をしにきてくださる。

正幸さんのお父様である榮一さんの一周忌の頃と重なった今回の作品展。もちろん私はご本人にお会いしたこともなかったけれど、直子さんが2009年からくりかえし南木曽に通い、時には生活にお邪魔しながら、木と共に生きてこられたその人の声に耳をすませてまとめられた榮一さんの物語を読んだあとだったので、不思議な親しみの感があった。

直径1mはあるだろう拭き漆の丸卓(こたつのように甲板を載せている卓。甲板は大きなお盆状)を見て、こんな大きなお盆、どうやって作るんだろう!?と驚いた。平らで漆がつやつやしていて杢目はじーっと見ていて飽きない。榮一さんのお盆や食籠(じきろう。ふたがついた食べ物を盛る器)をまじまじと見つめていると直子さんが解説してくださる。数百年の風雪をくぐり抜けた木の中にあらわれる様々な種類の杢目と、それらを引き出し、こうして見えるものにし、人びとの生活のすぐそばに持たせてくれる木地屋さんの技、仕事。すごいなー、と何度も感嘆してしまう。

直子さんの長野県上松技術専門校時代のK先生と一緒に珈琲を飲んだり、かんてんゼリー試食をしに行ったり、地元のお寺の和尚さんともう一杯珈琲を飲んだりして、夕刻となり、榮一さんのお連れ合い・シガ子さんが南木曽へお帰りになる車に直子さんと一緒に便乗させていただく。車の中でのおしゃべりがこの上なく楽しかった。シガ子さんも直子さんも、女性として生きる先輩として素敵すぎ!

直子さんが手配してくださった大妻籠の宿「こおしんづか」で、シガ子さんも一緒に夕ごはん。山菜や川魚、筍といった山の恵みを味わう。まん丸の五平餅もおいしかった〜。他のお客さんとの会話に思うところあり。あとで直子さんも同じように感じていたようで、ひそひそ話で盛り上がる。
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翌朝、宿の近くに咲いていた山吹。
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バスに乗って、正幸さんの「工房やまと」へ。
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お店の奥のストーブの近くで珈琲をいただく。この小さなスペースがなんとも心地よい。珈琲のおいしさも、ここでしか味わえないと思った。正幸さんの作品であるスツールに一目惚れ。いつかこんな空間を自分の住む家につくりたい。
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一服の後、工房も見学させていただいて、榮一さんのお墓へ。シガ子さんのお孫さん・正幸さんの娘さんのAちゃんにお会いする。すごく良い子だった。Aちゃんのお母さんが運転する軽トラックの荷台に、Aちゃんと直子さんと私で3人で立ち乗りし、山道をゆく。途中、気になっていた「イタドリ」が生えているところに降り立ち、それをつまみながら帰る(赤い節のあるのがイタドリ)。Aちゃんが学校から帰る道々には山のおやつがいっぱいで、とってもうらやましい。
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一端工房へ戻り、そのあと直子さんの、お世話になった方々への「本ができました」の挨拶まわりに同行させていただく。正幸さんが運転をしてくださる。軒先にも小径にも山々にも春・春・春。直子さん曰く、こちらの春は「じわじわと春」ではなく、「ぱぁ〜っと一斉に春!」なんだそう。白・薄い桃色・濃い桃色のはなもも。途中、正幸さんが車をぐるっと遠回りしてくださり、満開の名もなきしだれ桜の花見。
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お寺に飼われていたワンコ。うたたねしている。気持ち良さそう!
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江戸時代の街並で有名な妻籠にも立ち寄る。栗のお菓子のお店「澤田屋」さんで正幸さんおすすめの「厳固岩」を購入(日本酒にもよく合う、おいしいお菓子♪)。おそば屋さんで昼食。正幸さんにならってネギなしで。

そのあと、直子さんの上松技専時代のK先生のお宅に寄せていただき、本当にすばらしいたたずまいのお宅の一室で、北原先生の作品の数々と、黒田辰秋さんの資料集などを見せていただく。私が京都でいちばん好きな喫茶店は京大前の「進々堂」なのだけれど、そこにあるどっしりした長テーブル・長椅子が人間国宝の方が作られたということは見聞きしていた。実はその方が黒田辰秋さんという方で、刳物(くりもの)や指物(さしもの)などの木工家・漆芸家であり、榮一さんも交流されていたということ。その事実を知るところとなったことに不思議な縁を感じてしまう。また、K先生は学生時代に京都に暮らしておられたそうで、その頃のわくわくするようなお話を聞かせてもらい、先生おすすめの骨董屋さんも教えてもらう。とても楽しい時間だった。先生の工房もこれまた味があり、工房をすべて先生が作られたと聞いて驚き。生き方がすごくかっこよくて惚れ惚れした。

日が暮れてきて、K先生に「工房やまと」まで送っていただく。翌日の榮一さんの一周忌法要のための準備をされている小椋家の皆さんに混じって、直子さんとお庭や玄関のお掃除を手伝わせていただく。ほうき好きにはたまらない、いろいろな掃き心地のほうきがあって、使わせてもらう。

一段落したところで、今晩は結局、小椋家でお世話になることに。本当にありがたいことで恐縮してしまう。直子さんが小椋家の人々と築いてこられた関係があってこそである。
正幸さんとシガ子さんと直子さんと一緒に食卓を囲むと、まずはじめに小椋家の食器棚からぐいのみが10数個取り出され、好きなのを選ばせてもらう。もちろんすべて、榮一さんや正幸さんが作られたもの。ここはやはり比較的大きめを選んでしまう。で、それで味わう新潟からお土産で持ってきた日本酒も、正幸さんが好きな地元の日本酒も、どれもおいしい!

正幸さんがお店にも並んでいたまな板の上でみょうがを刻み、しょうゆで味付けし豆腐にのせてくださった。お店で見て気になっていた「椿皿」。伝統的なかたちだそう。「どうして椿皿と言うか知ってる?」と名前の由来を教えてくださる。少し高台になっていて、たくあんを2切れ真ん中に置いたら、椿の花のように見えるから、「椿皿」というのだそう。昔からあるかたち。昔の人はなんて粋なのでしょう!
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そんな話をしている私たちの横で、妹みたいにかわいくて好きになってしまったAちゃんが、よもぎ、わさびの葉っぱ、イタドリ、、、と順番に天ぷらにしてふるまってくれる。かりっと上手に揚がっていてとてもおいしい。榮一さんもお好きだったというお塩でいただく。
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ほろ酔いになってきた頃、正幸さんが炊きあがったご飯でおにぎりをにぎってくださった。お釜のどこの位置で炊けたかによって、おにぎりの味わいが違う。
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途中、直子さんとシガ子さんと3人で大笑いした。何がおかしかったのか忘れてしまったけど。

小椋家の皆さんにとってはなんてことない夕餉だったのかな。
お邪魔させていただいた私には、なんという贅沢な時間だったことだろう。

ふと、木地屋の人びともまた「ルーツ」にこだわって生きている人たちなんだ、と思った。だから、こんなに親しみを感じてしまうのかな。

翌朝、お店で一目惚れした白木のランプシェードと、正幸さんが作られたボウルを購入。これで、京都に帰っても南木曽の空気と、榮一さんたちの「木と共に」の心をいつでも感じられる。
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皆さんと記念撮影などし、8時台のバスに乗って南木曽へ。
忙しい中、バス停までAちゃんと直子さんが見送ってくださった。
バスにゆられながら、Aちゃんのことを思う。
大学の漆芸科を目指している高校生のAちゃん。
彼女の感性で生み出される器に出会えるときが近い将来やってくるのが楽しみでならない。
木地屋の跡取りが言わずもがな「息子」だった時代を越えて、Aちゃんが木地屋の歴史の、新しい1ページを切りひらいてゆく予感がする。
私より年若いAちゃんをこれから心から応援したい気持ちになる。

車窓から見えるのは、正幸さんが「好きなんだよね〜」と伝えてくださった、何種類ものみどり色が彩る春の山々。今もあちらこちらで木地屋さんの一家が歩いているような。
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プラスチック製品の時代をくぐり抜けて、人びとが変わりたい・変わろうとしている今、木地屋さんの生み出す器に私たちは出会わないといけないのではないか。
1つの器から、樹齢数百年の木の命を敬い、大切に受け継いできた技でその命を蘇らせる木地屋の人びとの生き様が伝わってくる。
日々の暮らしの中に、自分のそばに、1つでもいいから、携えてゆく必要があるように思うのだ。


*木地屋さんのことは、直子さんの本を読むまでまったく知らなかった私です。以下、直子さんの本から引用してご紹介します。“「木地(きじ)」とは、漆を塗る前の木でつくられた素地のことである。木地には曲物(まげもの)、指物(さしもの)、刳物(くりもの)、挽物(ひきもの)などがある。木地をつくる職人を「木地屋」という。「木地」とひとことでいっても、木地の種類が違えば、つくる職人も、道具のつくり方も材料となる木も異なる。”ちなみに、木地に漆を塗る職人を「塗師屋(ぬしや)」といいます。詳しくは、直子さんの2冊の本をぜひお読みください。

南木曾の木地屋の物語―ろくろとイタドリ

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  • 作者: 松本 直子
  • 出版社/メーカー: 未来社
  • 発売日: 2011/04
  • メディア: 単行本



崖っぷちの木地屋―村地忠太郎のしごと

崖っぷちの木地屋―村地忠太郎のしごと

  • 作者: 松本 直子
  • 出版社/メーカー: 未来社
  • 発売日: 2009/04
  • メディア: 単行本



工房やまと
南木曽へツアーを組んで、正幸さんたちに会いにゆき、木の魅力を味わう旅を企画したいと思っています。6/4〜12まで正幸さんも参加の作品展が名古屋で開催されているようです。行きたいです〜。
 木で食す ー木のさじ・漆のうつわー @canna家具店

自家製ピクルスのレシピご紹介 [仲良くごはん]

4月と5月にピクルスを作りました。
お裾分けしたところ好評だったもので、ここにレシピをアップしたいと思います。
簡単で、野菜もたっぷり摂れるので、すっぱいもの好きな方、ぜひ作ってみてください。
(ちなみに「無印良品」の保存容器のリーフレットからの転載です。)

〜たっぷり野菜の即席ピクルス〜
<材料>
できあがり分量:約1000ml密封瓶1本分
・きゅうり 1本
・人参 1/2本
・セロリ 1本
・カリフラワー 1/4個
・玉ねぎ 1/4個
・にんにく 1かけ
(お好みでパプリカやカブなど)

A(塩水)
 塩 大さじ4
 水 3カップ

B(ピクルス液)
 水 2カップ
 酢 1/2カップ
 塩 大さじ1弱
 砂糖 大さじ3強
 ローリエ 2枚
 粒こしょう、オールスパイス、粒カラシなど 各10粒程度(お好みで)

<作り方>
1.塩水を作る。Aを鍋で煮立てて冷ましておく。
2.野菜を切る。きゅうり、人参、セロリは拍子切り(長さ5〜8cm、太さ1cm程度の角棒状)にする。カリフラワーは小房に分ける。玉ねぎは薄切りにする。にんにくは皮をむいて半割りにする。
3.1の塩水の中に2の野菜を加えて30〜40分漬けておく。
4.ピクルス液を作る。ステンレスかホーローの鍋にBを入れてサッと煮立て、冷ます。
5.3の野菜をザルにあげ、よく水を切り、さらに清潔なふきんやキッチンペーパーなどでしっかり水気を拭き取る。
6.消毒した(→煮沸)保存容器に5の野菜を詰め、4をかぶるまで注ぐ(→最後にレモンもしぼると爽やかな感じに仕上がりました)。冷暗所で保存する。翌日から食べられる。

以上です。

5/10(火) 久々に話す [仲良くごはん]

京都府の高校の先生対象に、部落問題のことを話してきました。
私が小一時間話したあと、
「こんなこと話すつもりはなかったんだけど・・・川崎さんは話をさせるのがうまいですね・・・」と言ってご自身が地元の人たちと一緒に取り組まれている畑の話をしてくださった先生、(私がちょうど連休に訪ねた木地屋さんのことを少し話したことを受けて)木地屋さんに婿入りして木地屋さんになった叔父さんとその叔父さんがつくった餅つきの臼を今も大事に使っているという話をうれしそうに語りかけてくださった先生、(私の大好きな映画『阿賀に生きる』のことを紹介したことを受けて)自分も大好きな映画なんだと伝えてくださった先生、がいました。
そういう反応があったことに、すごく救われましたー。行ってよかった。

雨の中、夜は、呼んでくださったいつきさんたちに、京都駅前の「ニューエビスノ」に連れていってもらい、飲みました。
気になっていたお店。店員さんすばらしい接客で、よかったです。
ポテトサラダとしそじゃこ飯がおいしかったです。日本酒も必ずあふれさせてくれます。
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*話の様子はいつきさんがメモしてくださっていました。記録してくださるのってありがたい〜。→ 

5.3(火)-5(木) 阿賀野川のほとりで宴会 [仲良くごはん]

5月の連休は新潟に出かけるのが恒例になっている。映画『阿賀に生きる』の上映会と、映画に登場した人たちをはじめ、阿賀野川中流域の新潟水俣病の患者さんたちの追悼集会と夜の大宴会への参加するため。
夜行バスに乗って新潟駅に着いたら、いつもどおり立ち食いそばで朝ごはん。ここのおそば、おすすめ。
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珈琲飲んだり、バスのチケットを買ったりの用事を済ませて、お昼前には4月にも来た柳水園。

お風呂に入るのはあとにして、キミイさんに会いに出かける。無理を言って、またKさんに車を出してもらう。
途中、安田町の名物「かねさや」さんでラーメンと餃子を食べる。キミイさんも餃子が好きだったなぁ。一緒に食べられたらいいのに、、、ね。
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ケアホームに着いて、キミイさんのところに走って行って「キミイさーん!来たよー!」と声をかけたら、いつものように「来たの〜!?」「でも今日、ともえちゃん来ると思ってたんだぁー」と元気に嬉しそうに迎えてくれる。ロビーでみんなでいろいろしゃべる。でも、予定の都合ですぐに帰らなければならなくなってしまった。「また会いにくるから元気でね」とさようなら。

夕刻、患者の会代表を務めてこられたGさんのお墓へ、追悼集会前日入りしていた人たちと一緒にお参りに連れていってもらった。緑に囲まれた静かなお墓で旗野さんの、Gさんの思い出話を聞く。
夕方、宿に戻り、前夜祭。数年ぶりにお会いしたぞうさんから、被災地の様子を聞かせてもらう。原発の話もたくさんした。一人で考えてもどうしようもなくて落ち着かないから、こういうふうに語り合える仲間がいてよかった、と思った。これまた久しぶりに再会したWAKKUNには、白川静さんの文字の研究のことを聞かせてもらったり、WAKKUNの絵も紹介されている中学の美術の教科書を見せてもらったりした。なんかすんご〜く良い時間だった。

二次会でKさんが患者さんの作った干し大根でつくった煮物を出してくださった。かなり好きな味だった。右もおすすめされた最後の一口のかやくごはん。こんなおかずとごはんを作れるようになりたい。
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翌日、安田町公民館で『阿賀に生きる』上映会の準備。
私は直子さんの本の売り子をするのだ。手書きのポップも作って直子さんの本の良さを伝えようとがんばる。
隣でWAKKUNが自分の絵本や佐藤真さんの本の、味のあるすばらしいポップをつくってくれて大感謝!
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映画上映。登場する人たちの言葉が沁みた・・・。

売り子の合間に新潟の「惣菜ダイニング雉や」さん出張のお弁当コーナーへ。どれもこれもおいしそうで、トレイいっぱいに詰めていただく。
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会場でも久々に会う人たちと言葉を交わす。参治さんも元気そうで嬉しい。
隣でお店を出していた山崎さんの漆で仕上げた木の器が気になっていたら、旗野父上もやってきた。で、お揃いのぐいのみを買おう!ということに。いちばん奥の花が開いているようなのにした。
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休憩時間に、旗野父上がアピールをする時間をくれたので、また一人、直子さんの本を買って行ってくださる人がいてうれしい。

会場の周りは毎年、八重桜が満開。
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柳水園に移動して、お風呂に入って、大宴会。昨年仲良くなったSさんと隣同士でビールを呑む。館長もいつもの自家製ミミガーの薫製やレバーの薫製をふるまってくださり、幸せな夜が更けてゆく。。。

私は早速、山崎さんのぐいのみを取り出して、片っ端から日本酒を呑んだ。これで呑んだらすごくおいしかった。すーっとお酒が体に入っていく感じ。そのことを皆さんに伝えたら、欲しいという人続出で、山崎さん急遽開店。こんな営業活動が自分の商売になったらいいんじゃないかと思った。
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明日は朝いちばんの電車で新潟駅に向い、そこからバスと電車を乗り継いで長野に向かうので、みなさんに早めのお別れをした。

*宣伝。直子さんの新刊です。超おすすめの1冊です。

南木曾の木地屋の物語―ろくろとイタドリ

南木曾の木地屋の物語―ろくろとイタドリ

  • 作者: 松本 直子
  • 出版社/メーカー: 未来社
  • 発売日: 2011/04
  • メディア: 単行本


*山崎さんの、工房るるの小屋。

4/16(土) 安田患者の会・湯治とお花見 [仲良くごはん]

今年も夜行バスに乗って行きました、新潟水俣病安田患者の会のお花見@咲花温泉・柳水園。
桜はつぼみだったけれど、午前中に着いて温泉に入って、宿のおにぎりを食べて、昼さがり、患者のIさんやTさんたちに混ぜてもらって金子まゆさんの瞽女唄を聴かせていただいた(まゆさんの記事を見つけました)。
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そのあと、旗野さんのお姉さん・Kさんに車を出していただいて、キミイさんにも会いに行った。キミイさんはケアホームの中のカゴの鳥なので、まんまるになってたけど、ぜんぜん変わってない。なつかしくて、このままずっとしゃべっていたいと思った。お昼ごはんの時間のようで帰らなくてはいけなくなったので、後ろ髪ひかれる思いでさようならした。
夕刻、宿に着くと各地からポツポツと人が集まり始め、各地の手みやげをいただきながら、明るいうちから飲み始める。温泉に入って、上がって宴会の間に行ったら25人くらいになっていた。1年に1度、この会でしか(?)お会いできない方たちにお会いできてうれしかった!
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翌朝、朝ごはんを食べて、もう1回温泉につかる。そのあとロビーで珈琲牛乳で一服されて輪に私も混ぜてもらう。
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お昼前には新潟を離れ、日本海側の電車を乗り継いで帰ってきた。途中、乗り継ぎの新津駅で降りて散歩した。
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乗り継ぎの金沢駅の立ち食いうどんがおいしい。白エビ天ぷらをトッピングするべし。
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4/14(木) 平野神社の桜 [仲良くごはん]

職場の先輩と、仕事が終わった後、2人で桜の名所・平野神社へ夜桜を見にゆく。
夜の闇の中で、白っぽい桜の木の下にもぐったら、ジャスミンティーの香りがした。
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夜桜のあとは近くの居酒屋で飲む。
スペシャルメニューで出してもらったハリハリ鍋がおいしかった!
あんぽんたん

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